吐露アンプリファー -4ページ目

敬愛するいとこへ

自分には同い歳の男のいとこが奈良にいる。


奴も波乱万丈紆余曲折の人生故にこの歳になって今大学受験生をしている。


奴は男前だが、パーマをあてるためと変に髪を伸ばしており、現在容貌長州小力となってしまっている。


月に一回くらい電話するんやけど、今日がその月に一回の電話の日で電話してた。


・・・・・・・・・・・


「人生ってうまくいかんよな~」


「そうやな~うまくいかんよな~」


「お前も大変やな~」


「お前こそな~」


「まあ、せやからこそ人生って面白いねんって」


「そうやな~」


「幸せって何やろうな~」


「わからんわ~」


「せやな~」


「暇なんやったらいつでも遊びにこいや~」


「おういくわ~」


「鍋しようぜ~」


「男二人で鍋は熱いけどさみしいよな~」


「せやな~」


「女紹介してや~」


「まあそのうちな~」


「コンパしようぜ~、俺ら一緒に行ったことないしよ~」


「いとこってことネタにできるよな~それ~」


「鉄拳新しいの出るらしいで~」


「まじか~」


「俺らってええ歳こいて何してるんやろな~」


「まあええんちゃう、せやからこそ人生って面白いねんって」


「って、お前それ二回目やで~」


「やっぱ、ばれた?相変わらず鋭いな~お前」


「全くするどないわ」


「一緒におっちゃん二人、やんちゃしようぜ~」


・・・・・・・・・・・


という会話を永遠としてた。


この会話は或る切り口で言うと負け犬の遠吠えのように聞こえるが、


今の自分にはこれが負け犬の遠吠えであろうとなかろうとそれは関係なく、このいたたまれない気持ち・境遇を共感できる相手がいるということ自体が幸せやった。


身内にこんないい感じの敬愛するいとこがいることで自分の人生は豊かなものとなっていることは確かである。


いつか二人で南の島に住んで一緒にやんちゃしたいな~。


敬愛するいとこへ。


あんたを慕ういとこより。

ありがとうの数

ワタミ代表渡邉美樹氏の談の中から以下引用する。



お客様は、できないことでも何でも要求されますが、それを実現していくことが僕の考える「愛」なんです。


僕が大切にしたいことは、一生懸命に働くなかで、たくさんの「ありがとう」を集めて、自分たちの人間性を高めていくこと。「ありがとう」をどれだけ集めるかで人生の勝負がつくと思うし・・・。


お客様のことを考え、常に先回りして行動をするため自分を変えていき、たくさんの「ありがとう」を集めれば、結果として、売れまくる、僕はそう思うんですよ。


(「一流魂」 渡邉美樹 談 より)



非常に原点に戻らせてくれる発言だと思います。


アイデンティティを自己内部に絶対的なモノとして見出すことができず、そのアイデンティティを周りからどれだけ必要とされるかという相対的なモノとして持っている僕のような人間にとったら、商売に限らず、どのような生命活動の営みに関してもその周りからの「ありがとう」という声は、自分のアイデンティティへの確かなリアクションとなり、自分の生きがい・生命意義にそのまま還元されます。


ビジネスの世界でのお客様からの「ありがとう」。


純粋にいっぱい欲しい。


(どのような身分・形であれ)早く社会人になりてえな~。

人間クラシファイ

四半世紀生きてきて、


物心ついた頃から各人間固有の心理の奥底に興味を持ち、


物心ついた頃から人間観察を始め、


さらに自己観察も継続して行った結果、


(以下、独断です)


この世には二種類の人間がいるように思う。


非常に簡単に言ってしまうと、


哲学的な人間と現実的な人間の二種類だ。


前者は現実世界を渡り歩く上で基本的には関係のないことを色々と考え悶え苦しむ傾向にある(何故自分はこの世に生きているのか、そしてその価値は何なのか、この先も生きている意義はあるのか、等々諸々等々諸々云々←生死に関わること以外にも何かと色々と考えるということを表現)。イメージし易いように、この分類に入ると私が感じる人の代表を挙げておくと、芥川龍之介や太宰治や椎名林檎(椎名林檎は確信まで至らないがその匂いを感じる)をその筆頭に挙げることができると思う。


後者はこのような現実世界を渡る上であまり役に立たない関係のないことは考えずもう少し表層的な部分のみを考えて生きている。


但し、注意しなければならないのは、前者も勿論、現実的表層的なことも同時並行で考えているということである。


生き易さという点から考えると、圧倒的に後者の方が生き易い。


前者は何かと生きていく上で苦悩障壁が絶えない。


前者から見た後者は非常に眩しくそして羨ましい存在。


注意がいるのは、どの人間もその上澄み液だけを取って判断すると大概は後者の人間に属する。


但し、その内部のどろどろとした液体を垣間見ると二種類の人間に分けることができる。


前者はあまり自分のどろどろした部分を人に見せようとしない。


装飾する。


隠蔽する。


(芥川龍之介が自害する前に書いた自分の内面の全ての告白とも言える「或阿呆の一生」の中でさえ自分をむき出しにせずに筆を置いたことからもこのことは伺える)


しかし、共鳴する。


今までは、圧倒的に後者の方がこの世に多いと思っていた。


しかし、最近自分の周りにぽつぽつと前者の人達がいることに気付き、ちょっと嬉しい今日この頃。


がんばって生きていこっと。


久々の吐露アンプリファー。



P.S


前者の人は後者の人の考え方も内包しているので、がちんこで人を受け止めるという点でそこに強みがあると思います。後者の人には無い幅広い価値観を前者の人は持っていると思います。

言の葉群(1)

先人達の言葉を束ねたものをいくつか列記していく。



今日をだらだらと無為に過ごす―明日も同じこと―そして次の日はもっとぐずぐずする。ためらいのひとつひとつが、それぞれの遅れをもたらし、日々のことを後悔しつつ日々がくれていく。


おまえは本気でやっているか?一瞬考えてみるがいい―思い切りのよさには、才能と魔術が内在する。


ひたすら没頭すれば、心に灯が点る。―始めるのだ。そうすればその仕事は完成する!


―ヨハン・ヴォルフガング・フォン・ゲーテ




繰り返し行うことが、われわれの存在そのもの。


―アリストテレス




心理学における法則をひとつ挙げる。自分がこうしたいと思う映像を頭に浮かべ、その映像をずっと抱き続けていると、じきに考えていたとおりのことが起きるものなのだ。


―ウィリアム・ジェームズ




成功という言葉の意味をとことんまで掘り下げれば、それが単に細かいとこまで終わらせることだとわかる。


―F・W・ニコル




今日は免れたからといって、明日の責任から逃れられはしない。


―エイブラハム・リンカーン




自分のところに人が来るのを待っていては、小さな問題しか目に入らない。自分が出かけていって、見つけるべきだ。そもそも大きな問題というのは、問題を抱えているのを自覚していない人たちのところにあるものだ。


―W・エドワーズ・デミング




屋根の修理は、天気がいいときにするものだ。


―ジョン・F・ケネディ




この世に自分の生があるうちに、後世まで語り継がれるような言の葉を残したいものですね。

仕事を他人に任せるのが上手な人と下手な人

他人への仕事の任せ方というのは非常に難しいものであり、且つ、非常に重要なことだと思う。


このことに関して記述があったので以下に引用する。



以下に挙げるふたつのリストは、さまざまな参考資料から集めたもので、効果的な委任とそうでない委任を比較対照できるようになっている。


●仕事を他人に任せるのがうまい人


1.ある職務に誰が適任か、よくわかっている


2.すみやかに仕事を委ね、遂行までの十分な時間を与える。


3.目標をはっきり説明する。


4.業務遂行に必要な情報をすべて渡す。


5.行動に移る前に、スタッフに業務内容をきちんと理解させる。


6.締め切りを設定する。


7.企画書の作成を奨励する。


8.定期的に進捗状況を監視する。


9.部下が説明と助言を求めやすい。


10.自分が責任を負うが、職務を実行した人間に功績を与える。


11.新たな責任を持たせることで、スタッフの成長を促す。




●仕事を他人に任せるのが下手な人


1.独断で仕事を振り分ける。


2.締め切り直前に仕事を与えて、危機を招く。


3.予想される結果をはっきり伝えられない。


4.説明は最小限で、指示ばかり急ぐ。


5.誤解を招くようなやりかたで仕事を渡す。


6.何に関しても、大至急やるように求める。


7.業務への効果的な取り組みは、スタッフに開発してほしいと思っている。


8.見直しの手順を正式に決めていない。


9.職務遂行のやりかたに余計な口を出す。


10.成果が上がらないときは他人を責めるが、上がったときは自分の功績にする。


11.業務を任せずに、しがみついたままで、進行を妨げる。



なぜ、他人に仕事を任せるべきなのか、それについてはもっと重要な理由がある。他人の支援を引き出すというのは、個人的にも仕事の上でも、広い意味での成功に達する唯一の方法なのだ。


他人の支援を得ることによってのみ、多種多様なものが生み出せる。誰であっても、ひとりきりでは、何かを生産する能力、時間、そして知識には限界がある。上手に人を使うのは、生産の可能性を無限に広げることにほかならない。


<中略>


まったく動こうとしない人間もいるから、そういう輩には任せないようにしたい。ほかの誰かに任せるか、別の方法を探すことだ。


(なぜか、「仕事がうまくいく人」の習慣 ケリー・グリーソン著 楡井浩一訳 より)



ここで示されているリスト中には至極当然のように思われるものが多いが、その中にも新たな気付きとなる部分も含まれていた。(ってコメント短ッ!!)

先のばしからの解放

最近感じていたことが活字として記されていたので以下に引用しておきます。



先のばしは、どうしても人の自尊心を傷つける。その結果、楽観的なものの見かたや幸福感、創造のためのエネルギーが失われることになる。


慢性の先のばし病に苦しみながら、なんの手も打たない人たちは、目標に向かってゆく努力や、目標の設定すら、ますます難しくなっていく。


(「なぜか、「仕事がうまくいく人」の習慣」 ケリー・グリーソン著 楡井浩一訳 より)



まさにその通りだと痛感した。


先延ばしにすることで心情にブルーな状態が入る原因として、それは自尊心が傷つけられているのだという点が大きな発見でもあった。

内定式前夜

明日はついに内定式@ディズニーアンバサダーホテル&ミラコスタ。


朝から新幹線に乗って東京にいかなあかんけど、75%の確率で朝寝過ごす気がする。


今日は寝ずに起きておくべきか、バクチで寝るべきか。


寝過ごして出席できないという成人式のときの二の舞を踏まないように何とかしよっと。

馬鹿でかいこと

今日テレビを見てたら、


同志社大学の学生達が、


流しそうめんを流す距離で新記録を作っていた。


これを見ていてかなり羨ましかったし、みんなが達成したときに嬉し泣きしているのを見てかなり嫉妬した。


自分も学生のうちにこういう馬鹿でかいことをみんなで協力して実行し成し遂げ嬉し泣きしようと決意した。


馬鹿でかいだけじゃ意味がなくて、それを成し遂げる過程において馬鹿でかい一体感を生むこと、さらに成し遂げた後にみんなで馬鹿でかく感動して涙できるようなことがしたい。


やると決めたからにはやります。

最近想うこと

最近つくづくと大事だなーと想うことがある。



今できること、もしくわ今しなければならないことは今する



これって非常に単純なことやけど、今まで自分自身の根本に嫌なことは延ばし延ばしにする悪い癖があったんで確実に実行できていなかった。


これを実行しないことによる弊害ってのは後々かなり大きなものとなって自分自身に跳ね返ってくるってのも色々な面で経験した。


ここに書くことによって、自分自身を戒め再度がんばっていこっと。

存在感のあるファンタスティックな人間になれ

非常に面白いと思う定義付けがされていたんで、それを以下に引用する。




サラリーマンの生き方には、「できる人」だけでなく、「存在感がある人」という道もあると思う。すごく仕事ができる訳ではないけれど、その場に欠かせない人物が、世の中にはいるものです。


存在感のあるなしは、私の定義によれば、


「その人が不在の時の被引用回数」


ということになります。


ようするに、自分がいない場で、どれだけ話題に上るか、引用されるか、その回数によって存在感が図られる訳です。<中略>仕事ができる、できないより以前に、まずは人間としてファンタスティックな存在になることが重要なんですよ。その人がいることで場全体にエネルギーが満ちてくれば、その人と仕事をしたいと思うようになります。


(「一流魂」 月間「CIRCUS」編集部特別編集 より)




「存在感がある」と「その人が不在の時の被引用回数が多い」という命題は同値だと思った。そして「存在感」という曖昧模糊としたものを「被引用回数」という非常に具体的なパラメータと同値関係を含んで結びつけたという点で非常に面白いと思った。


学生の間でも、存在感のある奴ってのはそいつが不在のときの被引用回数が非常に多かったし、そいつが場に加わっただけでそいつ独特のエネルギーで場を染め上げるって奴は何人もいた。


お客様との取引においてもやはり、仕事ができるできない以前に、存在感というのは非常に重要だとも思った。


存在感のあるファンタスティックな人間で且つ仕事がめちゃめちゃできる人間になりたいと思った。