貧乏学生、雪景色を行く~年甲斐もなく編~<追憶>
22日の猛烈に寒波が襲った日に冒険してきました。
21日に次の日京都まで歩こうと思い立ったはいいものの、次の日起きたら雪が積もっていた。
普通に京都まで歩くよりも、雪が積もった中歩いていくほうが付加価値がついていいやーん、神様ありがと☆とか軽く思ったんが、後々命取りとなる。
とりあえず、感想を一言で言うと、
最強にしんどかったです。
途中で普通に何回も泣きそうになりました。
普通に凍死しそうになりました。
まず、冒険録の数字的な部分を以下に記しておきます。
以下の市の横に書いてある時刻はその市に入った時刻です。
<22日>
兵庫県尼崎市実家 : 12時00分出発
兵庫県伊丹市 : 不明
大阪府池田市 : 13時50分
大阪府箕面市 : 14時30分
大阪府茨木市 : 16時00分
大阪府高槻市 : 17時20分
京都府大山崎町 : 21時50分
京都府長岡京市 : 22時50分
<23日>
京都府向日市 : 00時30分
京都府京都市 : 01時30分
京都府京都市左京区下宿先 : 10時30分到着
ということで、22時間30分歩き続けました。内、店に入っての休憩時間はトータル2時間くらいです。
振り返ってみると、「ほんま自分よくがんばったよ!」って褒めてあげれるくらいのことはしたと思います。
途中から、意味のわからないくらいの寒さと極度の疲労によってほとんど足が動かなくなり、両足をひきずって歩き続けるという最悪の事態に陥り、何回も電車・バス・タクシーに乗ろうって思ったけど、そこでその誘惑に手を出さず、最初から最後まで自分の二本脚で歩き続けたことに対しすげー自分自身をリスペクトできた。
最後の方は最強に脚が痛くて脚が動かず、分速10メートルくらいまでペースダウンしてた。
最後は精神力だけで歩き続けてた気がする。
まじ、しんどかった。
家に着いて風呂に入ったときに脚をさすりながら、「おまえらよくがんばった、ほんまありがとう!」と声を出して心の底から脚を褒めてやるという若干悲しい子になってました。
こんな無茶はせめて夏にすることをお勧めします。
極度の寒さに筋肉は負けます。
<P.S.>
長い道のり(社会人人生)を歩むときに、
ただ漠然と歩いている(働いている)だけでは、
その過程において必ず何のために自分は歩いているのか(働いているのか)がわからなくなるときが訪れる。
そして、やめたくなる。
そのときに自分は何のために歩いているのか(働いているのか)の理由の柱を表層的なものではなく、自分という人間の根源的な部分から生まれてくるものとして持っていれば、
それによって、歩いている(働いている)意味をぶれることなく何度も思い出すことができ、
そこに再度確固たる意味を見出すことができ、
さらに前に進むことができる。
そう確信した。
今回の経験で。