一度完全に死ぬ
興味深いことが書かれていたので以下に引用する。
人があれこれ言い訳しながら、考えることに背を向けるのは、哲学のもつ破壊力をうすうす予感するからなのかもしれない。
でも、逃げ回って、偽の人生を生きてどうするのですか。
人は生きるの死ぬのという問いに全存在を賭けて真正面から向き合い、一度完全に死なないと、本当に生きることはできないのです。
人生の真実には触れられない。
(中年からの哲学 池田晶子著 日本経済新聞12月16日夕刊 より)
僕は若い頃に一度、精神世界で完全に死んだ。
肉体は残った。
それまでに自分の中に持っていたしょうもない精神は全てその時に捨てた。
そしてその時からゼロベースで今日までもう一度肉体に新しく精神を注入し続けてきた。
精神が一度完全に死んだっていう経験は、今の自分にとってものすごくプラスに働いている。
その完全なる死を境に自分自身180度その生き方・考え方が変わった。
その死がなければ今も自分はしょうもない偽りの人生を送っていたに違いない。
自分の経験から得た考えと池田氏の考え方がほぼ一致していることに対し非常に興味深さを覚えた。
ただ、若干考え方が異なるのは、
一度完全に死んで下さいと言われて、じゃー自分から進んで一度死んでみようということは不可能なように思う。
意図的に自分から完全に精神死することはできないと僕は思う。
何らかの非常に大きく馬鹿でかい半端ない外的要因が働いてこそ初めて人は精神的に完全に死なされると思う。
肉体的死を本気で考え、「死」というものとリアルに対峙したときに初めて精神的完全死への扉が現れると思う。
ただ、その時にも扉は現れるだけで、その扉を開けるか否かはその人次第。
簡単に精神的には死ねない。