「流れ」の存在
以下興味深いことが書かれていたので引用する。
勝負が決定するまで、だいたい百数十手。この中に流れがある。
流れは人為的に支配できるものではない。対局中にはいろいろなことを考えるが、思ったとおりにはならない。思いがけない展開になってしまう。
流れをつくるよりも、サーフィンのように流れにのっていく。波はつくれないが、乗れるかどうかだ。
しかし、波は幾度か変わる。つまり、お互いに何度かの勝機があるということだ。これを掴めるかどうかが実力というものだろう。
しかも勝敗を決定するのは、「ただの一手」であったりする。絶妙の一手。あるいは絶妙に見えて最悪の一手。
この一手を見つけるため、棋士はたえず研鑽を積み、盤面に全神経を集中させている。
(「決断力」 羽生善治【将棋棋士】 著 より)
将棋という非常にロジカルな頭脳スポーツ、
そのプロの世界において一度天下を取った人が非科学的な「流れの存在」を認めている点が非常に興味深い。
今まで自分は麻雀をするときに、「流れ」というものは確実に存在すると実体験してきた。しかし、麻雀には運が大きく関係してくるので、その運という要素が「流れ」というものを誘発するんだろうなーと漠然と考えてきた。
しかし、実質的な運が全く関係せず、且つ数学のように曖昧性を排除したロジカルなゲームである将棋においてもこの「流れ」が実在するということはどうしても不思議でならない。
やはり、この世には「流れ」という非科学的なモノが存在すると容認するほうが賢明なのかもしれない。そして、その「流れ」に対し常にアンテナを張り、「流れ」に敏感になり、いかにしてタイミング良くそれに乗るかを考えたほうが人生上手くいきそうだ。
ということは、
ビジネス、学業、恋愛、スポーツ、・・・、全てのものに流れがある。
それ故に、
いつも慎重に行き過ぎるということは、あまり良くないことだと感じた。
流れを感じたら、少々強引でもそれに乗るべきだ。
特に恋愛ね。